それが君の愛と言うのなら


例え天気は雨でもやれることはある。
テニスコートが使えないからと言って練習がなくなるわけではない。 そう言うときはバスケ部に頼んで体育館の中の半分くらいを使わせて貰ったり、校舎の一階から最上階までの階段を上り下りして体力をつけたりと、やることはある。 だから今日は雨が酷いけれど、練習はあるのだと思っていた。
そうしたら、昼休みにわざわざうちのクラスまで来てくれた橘さんが、今日は練習はないのだと言った。 何故と問えば、今日はなんだかタイミングが悪いのか、 俺と橘さん以外は用事があるとかで練習に出られないらしい。
俺は別に橘さんと二人だけだったとしても練習をしたかったのだけれど、 まぁたまには休息も必要か、と思って素直に頷くことにした。
橘さんには「まぁ今日くらいは体を休めろ」と言って頭を撫でられたので、 きっと俺の考えなんてお見通しだったんだろうな。
雨は降り止む気配もない。
家の用事だとかで慌てて帰っていった神尾は 水溜りに足をとられて転んでそうだと思いながら、濃紺色の傘をさして一人で帰る。 そういえば一人で帰るのなんてずいぶんと久しぶりだった。 いつもなら部活があるから誰かと一緒に帰るし、時々千石さんが迎えにもくる。
たまには一人で帰るのも悪くない。そう思いながら、雨の道を歩いた。

家に帰れば、待ってましたと言わんばかりに下の妹達が飛び出してきた。 各々タオルを持っていて、わざわざ俺の頭を拭いてくれようとするが、 さすがに届くはずもない。仕方がないからリヒ゛ンク゛に行って座ってやると、 うれしそうに飛びついてきた。力の加減もなしに、ぐしゃぐしゃとタオルで 拭いてるんだか擦ってるんだかわからない目に合うが、楽しそうなのでほうって置いた。 まぁ、多少、いたいけど。
「お兄ちゃん、携帯なってるよ」
そう言われて初めて、鞄の中の携帯が震えていることを知る。 学校では基本的にバイブにしているから、鞄に入れたときもそのままにしておいたのだ。 案外気づかないんだよなぁなんて考えながら鞄に手をのばす。
携帯はいまだに震えていて、それは自分が設定しているメールの着信メロディよりも ずっと長いと言うことに気づいた瞬間、携帯が震えているのはメールではなく、 通話の着信だとわかった。
そしてここまで長く俺の携帯を鳴らし続ける相手は一人しかいない。 鞄から携帯を出して画面を開けば、そこにはやはり「千石」と表示されていた。
なんとなく、いやな予感はした。
「....はい」
「やっほー、伊武君。あれ?この時間ってまだそっち練習時間だよね?」
無駄に明るい声が聞こえてくる。俺は少しあきれてしまった。
こちらが練習時間だということは、そちらだって練習時間だろうに。 その時間に電話をかけてくるということはつまり、この人が一時的か もしくは今日、丸々一日かはわからないが練習に出ていないということだ。
サボりと一緒にしてほしくないと思って、「今日は練習は休みなんですよ。 そっちこそなんですか、サボりですか」と言ってやると、電話の向こうで あははと笑う声がする。けれどその笑い声に、何か危うさを感じた。
このまま話していては面倒なことになりそうだと察して電話を切ろうと 口を開くが、それよりも先に相手が話し出してしまった。
「ねぇ、雨降ってるね」
「.....そうですね」
「俺さー、傘持ってないんだよね。迎えに来てほしいな」
あぁ、やっぱりと思う。どうして無理やりにでも電話を切ってしまわなかったのだろうか。 数秒前の自分の行動を俺はのろった。
千石さんはたまにひどく面倒くさくて、 今がそのときなのだ。
「嫌です。同じテニス部の人に入れて貰えばいいじゃないですか」
「男と相合傘なんてむなしいことしたくないのですよ」
「俺とはしましたよね」
「伊武君とは別だよ。それにまだ練習中だもん。俺は帰るけど」
やっぱりサボりか、と思いながらも、それを言うと「じゃあ二人で練習しよう」 などと言い出しかねないので黙っておく。あぁ、もうこんな風に話している暇があるなら 走って帰ってくれと思う。その結果濡れて風邪をひいたってそれは俺のせいではないのだ。
「そこらへんにいる人にでも入れて貰ってください」
「えー、いまだれもいな...」
「あれ、きよすみどうしたのー?」
「もしかして傘がないの?かわいそー」
千石さんはだれもいないといいたかったのだろうが、 タイミングがいいのか悪いのか女の子の声が聞こえてきた。
俺にしては都合がよかったので「よかったですね、入れて貰えばいいじゃないですか」と 鼻で笑ってやったのだが、携帯のむこうから、本当に小さくだけど舌打ちの音が聞こえておどろいた。
少なくとも俺が知るあの人は、そんなことしない。 俺に対してやったのか、それとも女の子に対してやったのかはわからなかったが、 一瞬ひやりとしたのは確かで、それがなんだか悔しいとともにぞっとした。
でも千石さんは女の子が好きだし、女の子にひどいことを言っているのは聞いたことがないし、 やっぱりそれは俺に対してなんだろうなと思ったら少しだけ悲しくもあった。 聞こえる声から状況を察してみると、千石さんはまだ女の子に誘われているようだ。 今なら電話を切ってもいいかもしれない、と思ったのだが、
「ごめん、もう迎え頼んじゃったから、ばいばい」
と言う声が聞こえて、俺は愕然とした。その言葉は明らかな拒絶だ。
聞こえはしないが女の子達は帰っていったようで、千石さんの盛大なため息が聞こえる。
「あぁ、めんどくさかった。ほんとしつこくてやんなっちゃうよね。もしかして舌打ちしたの 聞こえちゃった?伊武君にやったんじゃないんだよ。ごめんね不安にさせたかな」
「いえ、別に....」
傷ついたのは本当だけれど、そんな言われ方をすればなんだか腹立たしくなるのは 仕方のないことだと思う。そっけない返事をすれば、「よかったぁ」と言う能天気な声が聞こえた。 しかし問題はそれではないのだ。
「迎えって....」
「うん、伊武君。きてくれるでしょ?」
もう一度嫌だと言えば、待ってるからねといわれて通話がきられた。
たぶんこちらから電話しても、あの人は出ないだろう。 俺はそっと窓のカーテンを開けた。外の雨は相変わらず止んでいなくて、 窓辺によっただけでも寒い。

わかっているのだ。千石さんは時々こうやって俺を試しているのを。
それはひどく気分が悪いし、腹が立つ。
何度も文句を言っているけど ごめんねと言うのはそのときだけで、また思い出したように同じようなことをするのだ。 試さなければわからないほど俺の愛情表現は屈折しているのだろうか。
面倒くさいと思う。けれど、だからと言ってあの人をこのまま放っておくことも できないのだ。そういう自分に一番いらだつ。
のろのろと自分の部屋まで行き、私服に着替えてから傘を余分に持って 玄関まで行くと、妹達が驚いたように俺を見つめていた。
どうしてまた外に出るの?とめんまるな瞳が言っている。 俺だってできることならこんな雨のなか、わざわざ外になんて出たくない。
「迎えにいってくるから」
だからタオルを用意しておいて、と言って家を出た。


山吹までの道のりはあんまり覚えていなかった。
けれど人に道をきく気にもなれず、 少しくらい待たせても構いはしないと思って記憶だけを頼りにあの人が待っている場所へ歩く。
寒いし、せっかく乾かした髪はまた濡れ始めるし、ジーンズの裾も水を含んで色が変わっている。
移動中に俺が考えていたのは、どうやって千石さんをぶん殴ろうかと言うことだけだった。 何度か道を間違え、それでもたどり着いた山吹の校門をくぐり、多少山吹の生徒達に 変な目で見られたけれど、それも全部千石さんの所為だと思って、あの人への怒りに変換した。
誰もいない昇降口に一人ぽつんとたたずんでいる千石さんを見つけて、俺はにらみつけながら 近づいてやった。千石さんはばかみたいにうれしそうな顔をして「来てくれたんだ」と笑うので 余計に腹が立って、持っていた傘の先で千石さんの足を突いてやった。軽くだけれど。
「かえろっか、伊武君」
当然のように手をつないでくるのがむかつく。その手が冷え切っているのももっとむかつく。 けれど俺はそれを振り払うことができないのだ。
「千石さん、もうやめてくださいね」
「うん、ごめんね」
「試されるのは嫌いです」
「ごめんね」
「次に試すようなことをしたら、橘さんに言いつけます」
それには驚いたらしい、千石さんがえっ!と声を上げて目を丸くさせてこっちを見ている。 俺はそんな千石さんにわざわざ用意してやって傘を投げつけて、足早に歩き出した。 どうせ千石さんがついてくるのはわかっている。 後ろからは「おれ、あいつに殺されちゃうよ!」とか悲鳴が聞こえてきて、失礼な、橘さんは そんな野蛮な人じゃないと思った。
けれど俺は本気で橘さんに言うつもりだったので、 「じゃあ殺されてください」と言うと千石さんは見たこともないくらい情けない顔をした。 千石さんが橘さんに怒られる日がなんとなく楽しみだ。