うそつきベイビー


多分、いま千石さんはろくでもないことを考えている。

「ねぇ、伊武君」
「なんですか?」
「プール行きたくない?」

ほら、やっぱり!!


唐突にそんな事を言う目の前の人をにらみつけると、本人はへらへらと笑っている。そこら辺のやつに同じ事をすれば大抵はビビって逃げるのに、この人にはまったく効力が無いのが腹立たしい。
「行きたくありません」
ばっさりと一刀両断。それから何事も無かったかのように立ち止まっていた足を動かして帰路をたどるけれど、千石さんは「伊武くーん!」なんて情けない声をあげる。それがどれだけ恥ずかしいかをこの人はわかっていない。
いや、実はわかっているのか?わかってやっているのか?だとしたらとんでもない人だ。こんな人は今まで自分の傍にいなかった人種だ。だから、どうしていいのかわからなくなる。
泣き言を無視して歩き続けると、服をひっぱられて「ねぇねぇ」と、小学生か幼稚園児のように駄々をこねられてしまった。 そのしつこさに苛々したが、ここで怒れば負けだと思って(いつのまに勝負になっていたのかは自分でもわからない)我慢した。
「しつこいです、千石さん」
「でも、ちょっと暑くない?」
季節は夏から秋になったところで、確かに用心して厚着をすれば逆に暑くなってしまう事も多々あったが、別にプールに行きたいと思うほどでもない。
「いえ、寒いですよ」
どちらかと言うと自分は寒がりなのだ。カーディガンを着ているのが見えないのか、と言わんばかりに長袖を見せ付けてやると、千石さんは「温水プール!温水プールならいいでしょ!」と言うのだから、呆れてしまう。
それから、どうしてこの人がこんなにもプールに行きたがるのかが気になった。
「…どうして、そんなに行きたいんですか」
プールに、と訊けば、えーっと言って明らかに困ったような顔をした。
あぁ、これは何か後ろめたいことがある顔だ。そしてなるべくなら俺に聞かせたくない類の話なのだと知れた。多分、とんでもなく、あほな理由で。
「理由くらい、聞く権利はあると思いますけど?」
「えーと、別に理由ってことは…」
「無いんですか?なら、行かなくてもいいでしょう」
「や、でも行きたいんだよ!!ほんと!理由なんて無いけど!!」
うろたえる千石さんを見るのはおもしろい。千石さんはよく俺に振り回されてばっかりだって言うけど、こっちだって千石さんに振り回されているのだ。
だから、こんな風に俺の所為であたふたしているのはちょっと気分がいい。
「わかりました。…室町に聞きます」
「え、ちょ、待って待って!!て言うか、なんで室町の番号知ってるの!」
携帯を取り出して目の前で開いてやると、その手をがっちりと掴まれた。
これでは電話をかけることが出来ない。離して下さい、と言うと更に力を込めて手を掴まれる。
いや、無理無理。ほんと無理なの!なんて千石さんが叫ぶので、あんまりおもしろくて笑ってしまったら千石さんがぽかんと口を開けた。
「室町の番号なんて知りませんよ。嘘です。…で、なんでプールにそこまで行きたいんですか」
千石さんはがっくりと肩を落として、それからようやく本当のことを話し始めた。曰く、部活の後輩が彼女とプールにデートに行った話を聞いて、それはそれは楽しそうだったので自分も羨ましくなったと言うことだった。
まぁ、ある程度予想していた通りの告白だった。
「だってすっごい楽しそうだったんだもん!伊武君とどうしても行きたくてさぁ…」
えーん、なんて嘘まるだしで泣きまねをする千石さんは割りと可愛いんじゃないかと思う。そして俺もそうまでされると鬼ではないのだから、まぁ、行ってもいいかという気にはなった。
「いいですよ」
「え?」
「温水プール。行きたいんでしょ?まぁ、俺と一緒に行ったってつまんないと思いますけど」
「そんなことないよっ!!」
千石さんの目はキラキラ耀いていて、そんな目をよくアキラもするなぁと思った。きっと俺には一生できない顔だと思う。でも別に俺が出来なくたって、この人がしてくれるからかまわないのだ。
現金なもので、千石さんは急に元気になると俺の手を取って歩き始めた。 ぶんぶんと千石さんが俺の手を掴んだまま腕を振るので、なすがままの俺の手もぶんぶんと勢いよく揺れる。 「じゃあ今週の日曜日ね!」
「日曜日は妹達と出かける約束です」
「う…。じゃあ、土曜日!休みだし!待ち合わせは10時くらい?」
「その時間はまだ寝てるので、1時でお願いします」
「……はい…」
いちいちうな垂れたり、笑顔になる千石さんがおもしろいので、きっと俺はずっとこの人の隣にいるのだろうなと思った。この先もずっと。
「嘘ですよ。日曜日に、10時でいいです」