インザルーム


気がつけば俺は一軒の家の前に立っていた。
家の扉は開いていて、外から覗いた限り、誰もいなかった。 棚に、壁に、天井に、わけのわからない道具が並べられ飾られ吊るされている。女が好む雑貨屋とは違う感じだった。 かわいらしいものが何一つない。
俺は、気がつけばその家の中に足を踏み入れていた。 狭いのに、物だけはあふれかえるようにある。 ごちゃごちゃにして置いてあるドアノブ達が入っている籠の中には、よく見ればその下にフライパンが入れられている。
俺一人が入っただけでもずいぶん狭いなと思うのだから、 もう一人誰かが入ってくれば身動きすらとれなくなってしまいそうだと思いながら、 壁にかけられている、数字がさかさまの時計を眺めた。
グネグネに曲がりまくっている試験管なんて誰が使うのだろうか。 埃をかぶっている瓶のラベルは英語で読めやしない。
えらく不思議な店だと思いながらうろうろしていると、二階へ続く階段を見つけた。 ためらいもせずにギシギシとうるさく声をあげる階段を上がると、天井がぐっと近づく。 手を伸ばせばすぐに天井に手が届いて、手が汚れたのですぐにやめた。
二階にもよくわからない、もはやガラクタと言ってもいいものばかりが並べられている。 使用済みの切手、中身のないマッチ箱、極彩色の組紐。
そろそろこの謎の家の探検にも俺は飽きてしまって、もう帰ろうかと思ったときだった。 階下で、急に人の足音が聞こえた。それも急いでバタバタと走る音だ。 あわてて階段の手すりから下を覗くと、誰か、人が慌てて家の外へと飛び出していった。 振り向きもしなかったが、それが女だと言うのは身なりで判別できた。
どうやら俺がまだ見ていなかった店の奥のほうに隠れていたようだが、 どうしてあんなにも慌ててこの家を飛び出したのだろう。 不思議に思いながらも、自分ももうこの家に用がないので扉をあけて玄関から出ようとした。
出ようとして、出れないことに気がついた。 何度足を踏み出しても、何度手を伸ばしても、何か不思議な力に押し戻されるのだ。
俺は、信じられなくて手を伸ばす。けれど、決してその手は扉の外へ出ることを許されない。 まるで見えないガラスでもあるかのようだ。
冗談だろ?焦る心を落ち着かせようとするが、頭はどんどん混乱するばかりで、 とうとう俺は何もない空中に体当たりするように体ごと扉の外へ飛び出そうとした。 けれど、やはり何かの力に弾かれ、あっけなく床に体が弾き飛ばされてしまった。 俺は途方に暮れた。

この家の許容人数は一人ではないのだろうか。
二階にあった古めかしい椅子に座りながら、ぼんやりと天井を見ていると、ふいにそんな考えが頭に浮かんだ。 この家は人を一人しか入れることができない。代わりとなる新たな人間を一人入れないと、 元いた人間を出すことができないのではないだろうか。
だからあの女は、俺が二階へ行った隙を見てこの家からまんまと逃げ出せたのではないかと、そう思った。 そうだ、きっとそうに違いないのだ。
それから俺は、ずっと誰かがこの家にやってくるのを待っていた。
俺の代わりにこの家に閉じ込められるやつを。 扉を開け放して、最初は歩いてるやつらに声をかけたけど、 無視しているのか聞こえないのか、誰も足を止めたりしない。
そのうち声をかけるのにも飽きて、それからずっとこの椅子に座ってぼんやりとしている。 助けを呼ぼうと先輩達にメールしてみたが、返事は一通も来ない。 通話も、どこにも繋がらないで、ツーっと言う機械音が聞こえるだけだ。 もはやこの携帯に何の意味もない。
その辺に転がして、俺はやがて眠くなってきてしまった。 別に腹は減らないし、トイレに行きたいとも思わない。 なんだ、別にここに閉じ込められても死ぬことはないんじゃないかと思ったら、途端にどうでもよくなった。
そのときだった。あかや、と俺を呼ぶ声が聞こえたのだ。
俺は椅子から転げ落ちそうになりながらも、慌てて声に向かって返事をする。 また、あかやと俺を呼ぶ声が聞こえたので、階段を駆け下りると、家の扉の外で柳さんが立っていた。
赤也、ここにいたのか。柳さんが家に入ってこようとするので、俺は慌てて止めた。 どうして来たのかと聞いたら、俺からメールが来たからだという。
ほかの人は?と聞いたら、柳さんは自分のところにしかメールは来なかったと言った。 それで、また家に入ろうとするので、慌ててとめる。
だめっす、柳さん。入っちゃ。
なぜだ、赤也。俺が入ればお前はここから出れるんだろう?
柳さんは何でもないことのように言う。そうだけど、確かに柳さんが入ってくれば俺はここから出れる。 さっきまで、俺はそう考えて俺の代わりに犠牲になってくれるやつを待っていた。 けれど俺が待っていたのは決して柳さんじゃないんだ。
だめだ、だめだ、だめだ!
俺が止めるのを無視して、柳さんは家の中に足を踏み入れて、俺を家の外へと突き飛ばした。


「って言う夢だったんス」
俺の話を聞いて、柳さんはおもいきり眉間にしわを寄せていた。
「赤也、何か悩み事でもあるのか」
「いや、別に頭おかしくなってんな夢見たわけじゃねーっすよ! つーか柳さん酷いっす!俺のこと家の外に突き飛ばして!」
「それは夢の中の俺に怒ってくれ」
柳さんは困ったようにそういうが、夢の中の柳さんに会える可能性は限りなく低いので、 目の前にいる柳さんに言うしかないのだ。
「今度あんなことになっても、俺の身代わりとかマジでやめてくださいね」
「どうしてだ?お前が助かるなら、俺が閉じ込められてもいいと思っているんだがな。 それに、別の脱出する方法を考えるのも面白そうだ」
心底おもしろそうに言うので、俺はため息をついた。そんなのは困るのに、この人はきっと そんな状況でも楽しんでしまえるのだろうな。
「じゃあ、そのときは俺も一緒に閉じ込められるッス」
「一人しかだめなんじゃないのか?二人だと片方がはじき出されるかもしれない」
「そ、…そんときは…。俺、家の外からずっと柳さんに話しかけるっス! あ、それか、交代で入れ替わればいいんじゃないスかね!」
「やけに甘いルールだな…。まぁ、そんなことはまず無いから安心しろ」
そういって俺の頭を撫でる柳さんは完璧に俺を子供扱いしている。それがちょっとムカついたので、 がうっと言って柳さんの手を噛むふりをしたら、柳さんは声を殺して笑い出した。たまにはでかい声でもあげて 笑えばいいのに。
「それでも、どんな状況になっても、お前は俺から離れないんだな」
当たり前だと言えば、この人はどんな顔をするのだろうか。