視える人  


千石が伊武に出会ったのは、そのとき付き合っていた彼女に 盛大なビンタを一発食らわされて、一方的に別れを告げられた時だった。
そういうことは千石にとってはよくあることで、むしろビンタ一発で 済んだだけまだマシだと思うほどのものだったのだが、通りすがる 通行人からは哀れむような目で見られた。 だが千石にはたいしたことではなかったのでそれを無視して、さぁそれなら次はどの女の子を誘い出そうかと携帯を開いた時だった。 ポンポン、と肩をたたかれた。
それで千石が振り返ると、そこに彼が、伊武が立っていたのだ。
そのときまで、千石は伊武と話したことはなかったし、面識も無かった。 だから自分の目の前に立つ人間が誰かわからずに、なんだろうと思いながら
「はい?」
というと、肩をたたいたのは彼自身だと言うのに、かくりと首をかしげられてしまった。そうしてさらりと流れる髪が酷くきれいだと言うことに気付いた瞬間、彼は小さな声で
「人違いでした」
と言ってその場を立ち去ろうとした。 そのときに、千石は目の前にいる男が不動峰のテニス部員であることを思い出した。他校のプレイヤーの情報は、携帯のアドレスを埋める女の子達ほど重要じゃないにしろ、千石だって頭の片隅には入れているのだ。
「ねぇ、きみ!不動峰の子?」
呼び止める理由があったわけではないが、咄嗟に千石が去ろうとする背中に声をかけると、ぴたりと足を止めた伊武はゆっくりと振り返った。 その振り返った顔が、酷くめんどくさそうな表情だったのを千石はよく覚えている。
「それがどうかしたんですか」
「え、いや、えーと。…ダレと間違えたのかなーって」
千石の言葉に伊武は一言「関係ありません」とだけ答えて、今度こそ本当に去っていってしまった。それが千石と伊武の出会いだ。

それ以降、千石は彼に会うことなど無いだろうと思っていたのだが、何故かそれからちょくちょくと出会うこととなった。 と言っても千石から会いに行くわけではない。意外にも、出会うきっかけはすべて伊武からの接触だった。
街中で歩いていると、誰かが千石の肩をぽんぽんと叩く。振り向くと、そこには必ず伊武がいるのだ。最初のうちは千石も「どうしたの?」と尋ねてみたのだが、そのたびに伊武は「人違いでした」と言う。何度も何度も。 そのうち、千石は理由を聞くのをやめた。
伊武は最初、酷くとっつきにくい相手に思えた。 無表情だし、何を考えているかわからないし、返事はろくにしないし、かと思えばぶつぶつと何かをぼやいているし。 千石が遊びにいきましょう伊武君!とか、お茶しましょう伊武君!とさそってもまったく乗ってこなかった。
自分から千石に接触をしてくるのに、それは一瞬ですぐに立ち去ろうともする。千石にはまったく持って、伊武という存在は未知のものだった。 だから面白いと思ったのかもしれない。
千石は根気よく伊武に話しかけた。 すると、時間がたつにつれ伊武の表情も徐々に柔らいできたのだ。 普通の人間にはわからないだろう、微妙な表情の変化がわかるようになり、伊武も時々ではあるが千石の誘いを断らないこともあった。
純粋に嬉しかった。気難しかった猫がようやく自分になついてきたような、そんな感覚だったのだ。 千石は、いつの間にか伊武が自分の肩を叩くのを楽しみに待つようになっていた。
「千石さん、あんまり女の子を泣かせないほうがいいですよ」
「え、やだなぁ。千石さんは女の子を泣かしたりしませんよ!」
それは本当で、伊武と過ごすことが多くなった千石は以前のように女の子と軽々しく遊んだり付き合ったりすることもなくなっていた。南からは「なにがあった!」と怪訝な目で見られたほどに。
千石の言葉に、しかし伊武は「ふぅん」と気の無い返事を一つ返すだけだった。それから、伊武は千石の前に現れなくなった。


伊武が千石の前に現れなくなってからわかったことがある。
それは、千石が伊武のことを好きだと思っていた、ということだった。 来なくなった途端に見るからに元気をなくした千石に気付いたのは南で、「お前最近おかしいぞ?」と言われて、初めて千石は自分がおかしいことに気付いた。
寂しくて、退屈で、伊武に会いたいために無駄に街をうろうろした。もういっそ不動峰まで会いに行けばよかったのだが、自分が友情以上の感情で相手を見ていることに気付いた千石にはそれが出来なかった。 行って、千石など嫌いだから会いたくなかったとか、すごく嫌な顔をされたら死んでしまうと思ったのだ。
あれだけ伊武の言っていた「人違い」を千石は嘘だと思っていたが、やっぱりあれは本当で、伊武は探し人を見つけてしまったのでもう千石に用など無くなったのかもしれない。
そんな風に一度思考がマイナスのほうに行くともう止め処もなくって、それで千石はすべてをごまかすかのようにまた女の子と遊ぶようになった。
久しぶりに頬に真っ赤な手形をつけた千石を見た太一は真剣な顔で「なにがあったですか?」と聞いてくれたが、もちろん答えられるわけがなかった。


バン、と背中に衝撃が走る。肩を叩くにしても余りにも力の入ったその叩き方にじわりと痛みが広がって、千石は思わず「ぐあ」と情けない悲鳴を上げた。それから驚いて振り返ると、そこには肩で息を切って、千石以上に驚いた顔の伊武が立っていた。
あぁ、ようやく会えた。嬉しさの余り伊武の名を呼ぼうとした千石だったが、それをさえぎるように伊武自身が声を上げる。
「あんた、馬鹿ですか!馬鹿ですよね。馬鹿じゃないと、こんなことになるわけないし。ほんと、最悪だよ。意味がわからない。せっかくもう大丈夫だと思ったのに、少し見ない間にさぁ。だから女遊びはやめろって言ったのに、ほんと、学習能力ってのがないんじゃないの…」
だんだんと伊武が項垂れていく。千石には彼の言う事が一つだって理解できなかった。呪文のような彼のぼやきをあっけに取られながら聞いていたけれど、ふいに気がついてしまった。
今までも少し疑問に思ったことはあるがそこまで気にしたことはなかった。けれど、よくよく考えると、今までもついさっきも、伊武は千石の「肩を叩く」と言うよりは「肩をはらって」いた。
「い、伊武くん…」
長い髪の間から彼の真剣に怒った目が垣間見えた。
「あんた、いまその背中に、何人連れてると思ってるんですか?」


つまり、伊武はどうにも霊とかそう言った類が視えて、尚且つ祓うこともできるらしい。なので、泣かせてきた女の子達の怨念みたいなものが千石にまとわりつき、更には別の霊を呼び寄せていたのでいつも彼が祓ってくれていたと言うのだ。それで千石はすべてを理解した。
「そっか…。じゃあ伊武君は俺に何も憑かなくなったから来なくなったんだね…」
「そうですね」
「…じゃあおれ、また幽霊にとり憑かれないといけないかも…」
「はぁ!?」
千石の言葉に伊武が目を丸くさせた。いつも無表情なだけに、その顔が珍しい。
「だってそうじゃないと伊武君、俺と会ってくれないでしょ?」
「…千石さんは、俺に会いたいんですか?」
千石は伊武の顔を見て、「うん!!」と何度も力強く頷いた。それにまた、伊武が驚く。そして困ったような顔をして、ため息をついたので、千石はあぁやっぱり自分は嫌われているのかと泣きたくなった。
「…千石さんは、俺がうざいと思ってるんだって、思ってました」
「え!?なんで!!」
「なんとなく」
なんとなく、と言う伊武だが、小さく呟く言葉を耳で拾ってみれば「自分は暗いし無愛想だし面白くないのでつまらないし」とか、ネガティブな発言をしている。千石は慌てて「そんなことないよ!」と叫んだ。
「おれ、伊武君ともっと話したい。そうだ、携帯教えて!ずっと教えてくれなかったけど、いいよね?」
千石の勢いに負けたのか、それとも心を開いてくれたのか、伊武は少しだけ微笑むと素直に千石に携帯の番号を教える。 そんな伊武に、千石はいっそう愛らしさを感じてしまい、思わず抱きしめて怒られる事となる。

「でもとり憑かれてたわりには俺って元気だよな〜。ラッキー!」
(…それだけが不思議なんだよなぁ)