白石蔵ノ介の失敗


白石蔵ノ介は遠山金太郎を女の子と思い込んでいる。
信じ難い事実に、忍足謙也は苦悩した。なんでやねん!
とりあえずツッコミが先に出たのは関西人の血の宿命だ。

遠山金太郎は、紛れも無く、れっきとした男である。当たり前だ。
確かに見た目は幼くかわいいので、女の子の格好でもしたらそう間違えられても仕方ないだろう。 だけど薄っぺらい、彼が飛び跳ねればすぐに捲れ上がる ヒョウ柄のランニングから覗き見たそこに胸の膨らみなどは存在しないことくらいすぐにわかる。 それに謙也は金太郎と一緒に風呂に入ったことだってあるのだ。あれは、正真正銘、男なのだ。
というかもし本当に女子だと言うなれば女子の制服を着て登校してくるだろうし 学校側も男子テニス部に入部許可を出さないだろうし…と言う至極マトモなツッコミはこの際置いておこう。 きりが無いのだ。
そんな金太郎を、なぜ白石が女の子と思い込んでいるのかはわからない。 だが日を追うごとに白石の金太郎に対する態度は、女の子へのそれになっていくのだ。

一週間前、白石と謙也がいる前で金太郎が着替えようとしたときだった。
豪快にシャツを脱ぎ捨てようとする金太郎を、浪速のスピードスターすら凌駕する素早い動きで白石が止めたのだ。
「あかん!金ちゃん!!」
止められた金太郎は当然の事ながら、横から見ていた謙也にも意味がわからない。 ただ普通に金太郎は着替えようとしただけなのだ。それをなぜ止める必要が? 金太郎はシャツを脱ごうとしていた腕をいったん降ろして、首をかしげた。
「なにがあかんのや、白石」
「なにがて…!あかんで、女の子は男の前で服脱いだりしたら!」

…はぁ?

ほぼ同時に謙也と金太郎は声をあげた。意味がわからなかった。
なに言っとんねん、こいつ。
そんな表情が二人の顔に、ありありと出ていたに違いない。 だけど白石は、至極真面目な表情だった。冗談やって言えや!!謙也は心の中で叫んだ。 しかし、悲しいかなその言葉が白石の口から発せられることは無かったのだ。 白石は謙也の腕を掴むと(その瞬間、思わず謙也はヒィッと悲鳴を上げてしまった)、 金太郎に向かってやさしく微笑みかける。
「俺らは出て行くから、安心して着替えてえぇで」
「…おおきに?」
金太郎はいまだ事態が飲み込めていないのか、首をかしげながら白石に礼を言った。 思えばこれが始まりだったのだ。
それから徐々に言動がおかしくなっていった。やたらと金ちゃんに優しいし、甘いし、 たまに「女の子なんやから」と言う。 最初にあれ?と思ったのは謙也だけだったが、レギュラー全員がだんだんと白石の様子がおかしい事に気付きだした。 それでもまだ、白石が何か冗談を言っているのだと思っていたのだ。 ちょっと長めの、やたらしつっこいボケを繰り返しているだけなのだ。 だからきっとそのうち飽きるに違いないと。

決定打になったのは、数日前。 皆で部活帰りに銭湯にでも行こうかという話になった日のことだった。
学校にあるシャワールームの調子が悪く、その日から修理に入ることになっていて、 使用禁止になってしまっていた。別に、使えないなら使えないで家の風呂に入るまで我慢すればいいことだったが、 小春が「そう言えばうちの近所にスーパー銭湯ができた」と言い出したのだ。 それに金太郎が「なんやそれ!行きたい!」と食いつき、自然な流れで、 じゃあ今からみんなでそこに行くかという話に発展した。
タオルなんかは今時100円均一に行けばすぐに手に入る。 そんなわけで一行は小春の自宅近くにできたスーパー銭湯へと向かったのだが、 そこで白石が放った一言に、その場が凍りついたのだ。

「あかんで、金ちゃん。女の子が男湯に入ったら」

時が止まった。全員が凍りつき、けれど白石はにこりと笑っているのだ。
この悪夢のような光景!!もちろん金太郎はわけがわからずに固まっているし、 謙也達だってやっぱりわけがわからずに固まっていた。一般客に邪魔だと言いたげな目で見られたが、 そんなことはどうでもよかった。 最初に我に返ったのはさすが師範と言うべきか、銀だった。
「…白石、金太郎はんは女の子とちゃうやろ」
その言葉にはっと我に返った面々が、口々に声を上げる。 千歳がさりげなく、庇うようにして自分の背後に金太郎を隠した。
「そうやで、白石!お前こないだから何言ってんのや!?」
「ちょっとボケにしてはしつこすぎるわぁ。ねぇ、ユウくん」
「ほんまやで。しつこすぎるボケはおもろないねん」
しかし白石は不思議そうな顔をするばかり。おかしなことを言っているのは白石だと言うのに、 まるでそれでは謙也達がおかしなことを言っているように見える。
「なに言うてんねん、金ちゃんは女の子やないか」
その、顔!ふふ、と微笑むその顔にはふざけているような色は一切無い。 恐ろしいほどに、常識人の顔をして笑っているのだ。白石が。
謙也はいっそ畏怖すら感じてしまった。それは皆も一緒だったらしく、一様に黙り込んでしまった。 こういうとき、頼りになるのは光だ。
彼は上級生だろうがなんだろうが、思ったことはズバっと言う事ができる。 今こそ!その毒舌で白石を正気に戻せ!と言わんばかりの視線で、皆は光に視線を向けた。
「………キモッ」
光はそれだけ呟くと、視線をそらした。もはや光でも彼にツッコミを入れることは困難らしい。 謙也は絶望した。四天宝寺中学テニス部、終わった。

結局のところどうしたかと言うと、金太郎が「ワイは男や!!!!」といい加減にぶちキレて、男風呂に入った。 白石の前で堂々と見せ付けるように服を脱ぐと、一番乗りに風呂へと入っていく。 それを見送った一同は、脱衣所で緊急ミーティングを行った。人の迷惑にはならないように、端っこの方で。
「…白石、金ちゃんは女の子やなかよ?」
「ほんまやで。白石、いまさっき金ちゃん見たやろ?お前どないしてん」
「気でも違うたんですか」
口々に責め立てられ、とうとう白石ははぁ〜っと長いため息を吐いた。 さっきまでの笑みは無い。作り物の表情が取れたような、素の白石が戻ってきたような、そんな顔だ。
「ちょっと試してみたかったって言うか…」
なんだか回りくどいようなことをごにょごにょと言う白石に、小春が「ハッキリ言いや!」と一喝する。 白石は観念したように、しかし心底残念がるように呟いた。

「女の子扱いしてたら、金ちゃん勘違いして自分を女の子やって思い込まんかなぁって。 そうしたら俺と結婚したいって思てくれるかもしらんやん」

その言葉に、一同はもう一度凍りつくこととなった。大浴場のほうから 、金太郎の「みんなこーへんのー!?」と言う叫び声が聞こえてくる。 白石がさわやかに「もう行くでー!」と笑顔で返事を返すが、謙也達にそんな元気があるわけもなかった。 皆、一様に俯き加減で頭を抱えている。
「うちの部、ヤバイっスね」
と言うより部長がヤバイんやと思う。謙也は力なくツッコんだ。