不機嫌なアマデウス




*神尾

憂鬱気なため息が吐き出されるのを見るのは、これで三度目だ。
俺の目の前で無自覚にため息を吐く深司になんて声をかけていいのかわからなかったが、 多分、別に深司は何かを期待しているわけじゃないんだろうな、と思った。 それくらいはわかる付き合いだ。

久しぶりに俺の家に遊びに来た深司は、それまで二人でゲームをしていたのに、 急にむっつりと黙り込んでしまった。様子が変だと思った俺はすぐにどうしたのかと尋ねたら、 なんでもないことのように、深司の母親の再婚話をされた。
「…再婚?」
「そう。したいと思ってるって、言われて、昨日相手の家族と食事会だった」
あぁ、そう言えば昨日は、用事があるからと言って深司は部活を休んだのだ。 誰もその用事の内容を知らなくて(橘さんですら!)、珍しいなぁなんて話していたのだが、 自分たちが練習をしている間、深司はその食事会だったのか。
あー、声を出すけど、それから続かない。 そもそもこんなとき、何を言っていいかなんてまだガキの俺にはわからないのだ。 けれど深司は、最初から何も期待していないと言う風に、勝手に話を続ける。
「ほんと、急に言われたからびっくりだし。て言うか、相手、子供二人いるし。 こっちは三人だから、再婚したらいきなり兄弟が二人も増えるとか、ありえないよね。 しかも料理、味がいまいちだったし。本気で疲れた」
それが本当に、仕事で疲れたサラリーマンのように見えたので、俺はお疲れ、と声をかける。 手元にあったポテトチップスを一枚差し出してやると、深司は黙ってそれを食べた。
「反対なのか?」
「まさか。そういうつもりはないけど…。急に年の近い兄弟が増えるとか、戸惑うに決まってるし。 ほんと、絶対に気を遣うよなぁ…」
「いくつ?」
「一個上。男」
あー。思わず声が漏れる。もし自分が同じ立場だったらと考えて、やっぱやりづらいかなぁとは思うが、 同性だったらまだいいじゃんと言ってやれば、もう一人は女だと言う。うーん。
「あ、そういや、苗字変わっちまうのか?」
だったら今度から伊武、って呼べないよな。 思って、そう言えば俺はこいつを苗字で呼ぶことなんて殆ど無いなと思い直した。
「いや、それは変わらない。急に変わったら、皆から色々言われたりするかもしれないからって。 でも、いつかは変わるんじゃない?」
「なんて?」
「…千石」
せんごく。せんごくしんじ。言えば、あからさまに嫌な顔をされた。
「なんか、語呂悪いな」
「だよなぁ…。4文字と3文字って言うのが駄目なのかも」
「うーん…。神尾深司、あれ?悪くなくねぇ?」
「あぁ、千石深司よりはマシ」
だよなぁ。言って、笑いあう。多分、深司は思ったよりも今の状況に困惑しているのだろうなと思う。 どうしてわかるのかと言われれば、なんとも答えられないのだけれど、これが深司なりの「甘え」だと言うのはわかる。
「あ、この話、人に言わないでおいてくれる」
「…なんで?」
別に、言いふらすつもりがあって訊きかえしたわけではない。 橘さんとか、身近な人にも言わないのかと言いたかったのだ。 頭のいい深司は、俺がそう説明しなくても、わかっているようだった。
「別に、あんまり人に言うことじゃないでしょ」
そうだな、返事して。でもそれ、俺には言ってくれるんだなと思った。
このやり取りを最後に、それ以上、その話はしなかった。



*千石

父親の再婚話は俺と姉を酷く困惑させた。 何せ今の今まで、そんな相手がいたことすら知らなかったのだ。 意外に恥ずかしがり屋な父は、そんな事聞いてないと憤慨する姉に、照れくさかったと言って苦笑い。
反対するつもりは、俺にも姉にも無かった。 ただ相手も子持ちで、それも三人も居ると言われたときはさらに困惑したが。 聞けば、俺より一個下の男の子が一人と、幼い双子の女の子だと言う。 『妹』と言う存在に憧れを抱いていた姉は、物凄く喜んでいた。 しかもすごく可愛い双子の女の子と聞いて目を輝かせていたのだ。 俺はと言うと、年の近い男の子なら話しやすそうだし、明るい気さくな子だったらいいなと思っていた。
顔合わせの為の、食事会。 現れたのは、優しそうな女の人と、可愛い双子の女の子と、綺麗な顔をした男の子だった。 予想外だったなぁと思ったけれど、悪くない。なにせ面食いなのだ、俺も姉も。
そうして食事会は始まったのだが、かの少年はまるで喋らない。 姉は双子の妹ちゃん達が可愛くて仕方ないようで、しきりに話しかけているので気にならないようだ。
えーと、これって気まずい雰囲気?子供ながらに空気を読んでみる。
見れば父の顔が困ったような、焦ったような表情。 もしかして俺たち家族、気に入られて無い?怒ってる? とりあえずこの状況を打開するために俺は深司君(と、言うのだそうだ)に 「ねぇ、深司君は何か部活やってる?」と話しかけてみた。 これ以外に何も話題が浮かばなかったのだから仕方が無いだろう。
「……テニスです」
「ほんと?俺もテニス部なんだよ!」
思いがけず共通点があった事に、俺は驚いて声をあげた。 少し上擦ってしまったのに気付かれてしまっただろうかと不安になりながら、笑って深司君を見る。 それは彼にとっても意外だったらしい、一瞬だけ目を丸くさせて、 けれどまたすぐ元の無表情に戻って「そうですか」とだけ呟いた。
えーと。それだけ?綺麗な顔見つめるも、深司君は食事を再開する。 これはまずいのだろうか。冷や汗が流れるが、深司君のお母さん(いずれ俺のお母さん)は、至って普通だ。 焦ったりするどころか、普通に「深司、同じ部活だなんて奇遇ねぇ」と話しかけている。 けれど、深司君の返事は「うん」と言う短いもので。もしかして、これが普通なのだろうか。 深司君のこの態度はこれがデフォルトなのかもしれない。
よくわからないまま、食事会は終わってしまって、俺はとうとう彼の笑った顔を見れなかった。 支払いをするから先に出ておいて、と言われて子供は店の外に出されてしまう。 姉は双子ちゃんとすっかり打ち解けたらしく、楽しそうに話している。 俺もあれくらい深司君と仲良くなりたいなぁと思う。 深司君は無口だし、無愛想だけど、でも嫌いじゃないなと思ったから。
とりあえずこのまま黙り込んでいるわけにもいかない、と思っておれはまた深司君に声をかけようとして、口を開く。 けれど言葉がでなかった。
「深司じゃないか」
「…橘さん」
知り合い、らしい。部活の先輩かな?深司君は声をかけられて、びっくりしたように目を丸くさせている。 それからすぐにまた無表情になったのだけど、明らかに雰囲気が違った。なんと言うか、やわらかい雰囲気になった。
「家族で?」
「…そんなところです」
ふ、と、橘さんと呼ばれた彼と目があう。が、どうしていいのかがわからなかった。 どうもコンニチワ、近日中に深司君のお兄さんになる者です。なんて言うのか? どうしたものかと考えあぐねいていたが、彼はとくに何も言わずに俺から目線を外してまた深司君に戻した。 深くは追求しないのか、人間できてるなぁなんて考えながら俺も深司君の横顔を見ていた。
(…あ)
笑った。深司君が、一瞬だけ笑ったのだ。
それは本当に一瞬で、すぐに消えてしまったけど、柔らかな笑顔は俺の脳裏にすっかり焼きついてしまった。 笑うとあんな顔になるんだなぁと思いながら、けれどその顔は俺ではさせてあげることができないんだと思うと 酷く悔しかった。
そんな事を思っていると、話が終わったのか『橘さん』は深司君にじゃあなと言い、 ついでに俺に少しだけ頭を下げて行ってしまった。 深司君も軽く頭を下げて、俺を見た時にはもうさっきまでの彼のやわらかい雰囲気がなくなっていた。
「深司君、今度の休みとか、暇?」
「……暇、ですけど」
不思議そうに首をかしげる深司君に、俺は殊更にっこりと笑ってやった。
「じゃあ、俺とテニスしようよ!」

ねぇ、俺は思ったより君のことが好きみたいだよ。