リインカネーション




高校生活で、誰が一番強烈に自分の記憶に焼きついているかと問われれば、 それは間違いなく白石蔵ノ介だった。

白石蔵ノ介は、高校の中でも一、二を争う程の有名な生徒だった。 誰からも好かれる人気者という奴は、一学年に必ず一人はいるものだ。 男の俺も納得するほどの整った容姿で、成績も悪くない。テニス部の部長としても優秀で、部員からの信頼も厚い。 それでいて気さくな性格で、喋ると面白いと言うのだから、非の打ち所が無いのだ。 そんな男と、よく友達になれたものだと、自分でも思う。

そもそも俺は転校生で、しかも高校二年と言う中途半端な時に東京から大阪にやってきて、 新しい学校生活が不安で不安でたまらなかった。 友達ができるのかとか、今まで生まれ育った所とは全く違った土地でうまくやれるのかとか、 教室に入って担任に紹介された俺の顔に、不安げな色がありありと出ていたに違いない。
そんな俺に最初に声をかけたのが白石蔵ノ介だった。同じクラスの彼は、 ホームルームが終わったと同時に俺に声をかけてきて、そうすると自然と俺の傍に人が集まってきて、 賑やかなものになった。俺がクラスに早く馴染めたのも、一重に白石のお陰だろう。 それからも白石はよく俺に声をかけてくれた。俺も自分から彼に積極的に話しかけたし 、いつの間にか俺と彼はクラスメイトと言う一括りでなく、 友人と言うカテゴリに互いを位置づける関係になっていた。

テニス部に入ったのも、やはり白石の影響だった。学校で白石と行動を共にしていると、 必然的にテニス部の面子とも顔をあわせることが多くなる。
忍足謙也や財前光がそうだった。 財前光は学年が一つ下だったので、そう多くは話す機会も無かったが、忍足は同じ学年と言うこともあり、よく話した。 この忍足謙也と言うのもいい奴で、俺はすぐに打ち解ける事ができた。 今思い起こしても、あの頃の自分は、とんでもなく社交的だったと思う。
元々俺は引っ込み思案で初対面の人間と喋るなんて大の苦手だったし、友達が多いほうでもなかったのだ。 忍足と仲良くなれたのも、彼自身が明るくて面倒見のいい性格だった事もあるだろうが、 やはり白石の力もあったのだと思う。 俺は彼が傍に居ると酷く安心できて、素の自分をさらけ出すことができたのだ。 自分が想像していた退屈で色あせた高校生活などそこにはなかった。 だから、二人に誘われるがままにテニス部に入ったのだ。

あれは校内に植えられている桜が満開になって花びらを散らす中、新入生の入学式が行われる日だった。
三年生も参加しなければならないと言うこの行事に、多くの生徒達は参加しなくとも良い二年生を羨んでいた。 俺も例に漏れずそうだったのだが、その日は朝からやけに白石の機嫌が良かった。 常ににこにこと笑っているのだ。そんな白石を見て忍足も笑っている。 彼には白石が上機嫌な理由がわかっていたのだろう。そして不思議な事に、何人かのクラスメイト達も、 それを察しているようだったのだ。
疎外感、まさにそれだった。俺は顔にこそ出さなかったものの、なんだか仲間はずれにされているようで、 面白くなかった。けれど自分の中にある酷くちっぽけなプライドが、「どうした?」と訊ねる言葉を生み出せずにいた。
足取り重く体育館に向かっている途中で財前に会わなければ、俺は白石の上機嫌の理由を知るのが、 もう少し後になっていただろう。 偶然に出会った財前は白石の顔を見るなり、不愉快そうに顔を歪めて「キモイっすわ」と言った。 先輩に対してなんと言う口の利き方だ、と怒る者は一人もいない。
彼は常にこういった言い方だったし、 誰もがそれだからこその財前だと思っていた。
「しゃあないやろ、光。白石は金ちゃんに会えるのが楽しみやねん」
「そんなん、わかってますわ」
金ちゃん。それは少しだけ知っている名前だった。白石が常に左腕に巻いている包帯の理由。 中学の時の後輩。白石の口から時たま出てくる名前、それが遠山金太郎だった。
その後輩が、どうやら新入生として入ってくるらしいのだと、俺はようやくその時に知ったのだ。 今から考えれば、白石が上機嫌な理由をしっているクラスメイト達は、全員が四天宝寺中出身だったのだろう。 中学時代の白石と遠山のことを知っていて、だからわかったのだ。
理由がわかった途端、自分の中にあった疎外感は簡単に消えてしまった。 むしろ、好奇心が沸いた。白石をこんなに笑顔にさせるその遠山金太郎と言う存在が、 どんな奴なのかが気になって仕方なくなったのだ。
入学式が始まり、拍手の嵐の中、入場してくる一年生達の顔は緊張に包まれていた。 それが転校してきたばかりの自分と重なって見えて、 なんとも言えない気持ちになってつい目をそらした先に白石が居た。 白石は、真剣な表情で一年生達を見ている。遠山金太郎を探しているのだ、と言う事はすぐにわかった。 そして、ふいに白石が笑みを零した。
見つけたのだ、と思って、俺も一年生達のほうに目を向けたが、 誰が遠山金太郎なのかがわからない。 半ば諦めかけたその時、赤茶けた髪をした一年生が、こちらに向かって(正確には白石に向かって) 「あ、白石に謙也やー!!」と大声で叫んで手を振ったので、 俺は遠山金太郎をようやく認識することができたのだった。

遠山金太郎が入ってきて、テニス部はよりいっそう賑やかになった。
ゴンタクレと言われてるだけあって、遠山は活発な奴だったが、どうにも憎めない。 手のかかる弟ができた、と言う感じで、部の誰からも愛されていた。 ちょうどその頃からだったと思う。白石が「金ちゃんは昔からそうやなぁ」と言う事が増えた。
はしゃぎすぎて、部活前に体力を使い果たして疲れてしまった時。
たこ焼きの食べすぎで、お腹が痛いと言いながらもまだたこ焼きを食べると言い出した時。
何処からか、捨てられていた子猫を拾ってきた時。
白石は、誰に聞かせるわけでもなく、本当に小さな声で「金ちゃんは昔からそうやなぁ」と呟くのだ。 その目はじっと遠山を見ている。慈しむような、懐かしいものを見るような、 そんな目で白石は遠山を飽きることなく見ていた。
俺は、どうしてだかその言葉が気になってしまってしょうがなかった。 何が気になると言われてもわからない。ただ何か、違和感のようなものがその言葉を聞くたびに常に付きまとった。

高校から、一番近くのスポーツ用品が売っている店までの道のりの途中に、大きな木が生えている。 名前は知らないが、白石はその木を気に入っているようで、通りがかるたびによく見上げていた。
その、木を見上げる瞳が、遠山を懐かしげに見つめているときと同じ色をしている事に、 あの時自分はよく気付けたものだと思う。
確か俺は、白石に「好きなのか?」と訊ねたんだと思う。 今まで一度もそんな風に訊ねたことなど無かった。ただ、勝手に好きなのだろうなと、そう思っていたのだ。 白石は笑って、俺のほうを見た。
「そうや。懐かしいなぁ、昔、金ちゃんがこの木に登った事があるねん。 木の上に登った猫が降りられへんようになってるの見つけて、助けたろうとしてな。 最終的に猫は降ろすことができてんけど、今度は自分のほうがよう降り方わからんようになって、 俺がそこから飛び降りた金ちゃんを受け止めてなんとかなったんや」
そう言いながら、白石は指差す。その先には太い幹があって、そこから金太郎が飛び降りたのだと言う。
「ほんま、昔っから金ちゃんはそんなんやねん」
その頃、俺は白石の言葉に感じる違和感の正体に気付き始めていた。
切欠は財前だった。それがいつだったかは忘れてしまったが、財前が遠山に向かって何かを注意したのだ。 「はよその癖直せって、昔から言っとるやろ」と、確かそんな事を言ったのだ。 俺は、その言葉に何の違和感も抱かなかった。それで、ようやく気付いたのだ。 財前は遠山と小学校から一緒で、お互いを小さい頃から知っていると言う。 そんな財前が、遠山の昔を知っていてもなんらおかしくはない。だが、白石は違うのだ。
白石が遠山と出会ったのは中学三年生の時、遠山が四天宝寺中のテニス部に入ってからなのだ。 白石が話している事が、彼が中学三年の時の事だとしたら、それは『昔』なのだろうか?
三年前を、人は『昔』と言う言い方をするのだろうか。人によってはそう言うのかもしれないが、 俺は白石の言う『昔』は三年やそこらではない、もっと永い年月が含まれているように感じてならなかった。
だから俺は、白石にさらに尋ねたのだ。「それはどれくらい昔の話なんだ」と。 白石はきっと俺の考えていることがわかったのだろう。 少しだけ驚いたような顔をして、けれどすぐに普通の表情に戻った。
「昔や。…もう、ずっと昔」
それ以上は何も聞けず、俺たちは部室に戻るまで一度も言葉を交わさなかった。

ある日、俺はあの木をじっと見上げている遠山と出会った。
こちらに気付いてない様子なので声をかけると、俺の名前を呼んでにこりと笑った。 何をしているのか訊ねると、木の上に鳥の巣があるので、それを見ていたのだと言う。 俺も一緒になって見上げると、確かにそこには鳥の巣があって、小鳥が数羽いた。
俺はふと白石から聞いた話を思い出した。 遠山が、この木から降りれなくなったことがある話だ。俺が笑いながら、白石からその話を聞いたと言うと、 遠山は首をかしげるのだ。
「ワイ、そんなんした事ないで」
遠山の顔は本当に不思議そうだった。俺はなんだかやけに不安になった。 俺の求めていた答えはそれではないのだ。笑って、そんなこともあったなと、言って欲しかったのだ。 それは遠山が覚えていないだけではないのか、白石はちゃんと覚えていたと言ってやると、 遠山はいよいよ覚えが無いのか、「えー、ほんまにワイちゃうでー!」と声をあげた。
「だって、ワイこの道通るようになったん、高校入ってからやもん」
俺はこの事を白石に話した。今から思えば、多分、確かめたかったのだと思う。 あの時は何も考えずに言ってしまったような気もするが、 俺はきっと自分の中に生まれた白石への違和感を拭い去りたかったのだと思う。
白石が、それは遠山が忘れているだけなのだと言ってくれれば、俺は安心できるのだ。 きっと彼に対する違和感も消えると思っていた。けれど白石の口からは終ぞそんな言葉は出てこなかった。 ただ、寂しそうに、けれどどこか諦めたような顔で力なく笑って、
「昔からそうやねん。俺はいっつも覚えてるのに、金ちゃんはいっつも忘れてる。けど、それでえぇねん」
と言うだけだった。
その後、俺は白石に遠山との事を訊ねる事はしなかった。 切欠が無かったような気もするが、俺はきっと怖かったのだと思う。 追求して彼の口から真実を告げられる事も、知って、彼との関係が壊れてしまうかもしれないと言うことも。 今考えれば、白石がそう簡単に俺に真実を語ったとも思えないのだが、あの時の俺はそう考えていたのだ。 ただ、白石と友達であり続けたかった。だから、相変わらず白石は遠山との思い出を時折語ったが、 深くは追求しなかった。

その後どうなったのかを、俺は知らない。なぜなら俺は、急にまた東京に戻ることになってしまったからだ。 それは酷く悲しかったが、俺以上にテニス部の皆も、クラスメイト達も別れを惜しんでくれた。 送別会までやって貰えて、俺は本当に良い友達ができたと思う。こんな風に楽しい高校生活が送れたのも、 やはり思い起こせば白石のおかげだった。俺は今でも彼に感謝している。
きっと白石と遠山は、あれからも変わらず、今までどおりの関係なのだろう。 今でも彼らと時折メールで連絡を取り合うが、変わった様子は無い。
進む道は互いに違っているものの、あの頃と同じように仲良く騒がしくやっているようだ。 そして白石は、今でも遠山のことを、あの懐かしいような寂しいような目で見ているのだろう。 そう言えば、先日忍足から電話がかかってきた。互いの近況を話している内に、 連休に中学の時のテニス部員達と旅行に行った話を聞かされた。

「ほんで、そん時に金ちゃんがな、ここに昔、誰かと来た事がある気がするって言うねん。 初めて来たとこな筈やのにな。しかも、白石まで自分も来たことがある気ぃするって言うねんで! デジャヴって奴やんな。でも二人同時にとかなんか不思議やんなぁ」

俺は忍足のこの言葉を忘れることができない。この先も、ずっと覚えているのだと思う。 そしてこの言葉を思い出すたびに俺は、白石はその時、どんな気持ちだったのだろうかと考えるのだ。 嬉しかったのだろうか、満たされた気持ちになったのだろうか。 俺は白石では無いから全く想像がつかないのだけれど、どうか白石が幸せな気持ちになっていればいいと願った。
白石、きっと、遠山はいつか全て思い出すよ。
それまで白石は遠山を待ち続けるだろう。今までずっと、そうしてきたように。