アンダーグラウンドモンスター




屋根裏に何かが住み着いている。
白石蔵ノ介は、ここ最近ずっとそんなことばかり考えていた。 それは幼い子供がする空想の世界の話ではなく、蔵ノ介の年頃の少年がする過ぎた妄想でもない。 それは現実だった。
蔵ノ介しか知らない現実。

屋根裏に何かがいる、と言うことに初めて気付いたのは、三週間くらい前だった。 その日は次の日が日曜と言うこともあって夜更かしをし、 深夜二時辺りをまわったところでようやくベッドに入ったのだ。
眠気の所為でぼんやりする頭を横たえ、 さぁ目を瞑ってあとは意識を手放すだけ、と言うところで、天井から聞きなれない音が聞こえてきた。
ゴソゴソ、カリカリ。何かが動いて、何かを引っ掻いているような音だ。
今まで一度だって聞いたことのない音に、蔵ノ介はそれまでの眠気が一気に吹っ飛んだ。 閉じていた目蓋はぱちりと開き、意識もはっきりとしている。音は断片的に聞こえてきて、 蔵ノ介はじっと天井を見つめるが、やがてすぐに聞こえなくなった。 それでも蔵ノ介は、暫くの間は起きて耳を済ませていたのだが、それきり音はぴたりと止んでしまったので、 疑問に思う気持ちは意識と共に消え、そのまま眠ってしまった。
しかし、その奇妙な音はそれきりで終わらなかった。次の日も、その次の日も聞こえたのだ。 音は決まって夜中に聞こえてきて、蔵ノ介は最初それを鼠か何かが住み着いているのだと思っていた 。一度自分で屋根裏を覗いてみたのだが、鼠の姿はおろか、何かが住み着いている形跡さえ見つけられなかった。
けれど、それは自分が素人だからわからないのかもしれない。そう思って親に相談し、 業者に来て貰って徹底的にチェックをしたのだが、聞かされた言葉は「なにもいません」だった。
蔵ノ介はその言葉が信じられなかった。あんなにもはっきりと聞いた音の原因が見つからないだなんて、 あるわけがない。確かに音は天井裏からするのだ。業者が何か見落としているのではないかと思えて仕方が無かったが、 業者に直接言うのは憚られたし、親に言っても渋い顔をするだけで別の手を打ってくれるわけでもない。
それどころか、そんな音が本当に聞こえてくるのか? と言われてしまって、蔵ノ介は何も言うことができなかった。
なぜならその音は、蔵ノ介しか聞いたことがないのだ。
夜中にしか聞こえない音のために、わざわざ寝ている親や姉達を起こすのも忍びなく 、家人を呼ぶこともできない。しかも屋根裏に潜んでいる「何か」は、 蔵ノ介の部屋の天井裏が一番お気に入りなのか、他の部屋には現れないのだ。 何度か、その音を録音してやろうと試みたこともあったのだが、 そういうときに限って音は聞こえてこないのだった。こちらの動きを把握していると言うのだろうか? 蔵ノ介はうんざりした。
それから、だんだんとそれは鼠ではなく、何か霊とか妖怪とか、そう言った類なのではないか?と思えてきたのだ。 それならば、一向に正体が掴めないことも頷ける。 けれど、それと同時にぞっとした。蔵ノ介は決して幽霊を信じているとか言うわけではなかったが、 好奇心でホラー映画なんかは観たりもするし、それで恐怖を覚える事だってある。
もしも自分の部屋の屋根裏にいるのが、この世のものではなかったら。
ほんの少しそう思っただけで、想像力が豊かな脳は蔵ノ介の思いに反していらぬことをし始める。 それは、今まで見たホラー映画の恐ろしいシーンの再生だったり、人から聞いた怪談話を語り始めたり、 とにかくこんなときには思い出したくないことばかりだった。
想像の中では、長い黒髪を垂らした女が恐ろしい形相で蔵ノ介の部屋の屋根裏に這い蹲っているのだ。 全く持って、笑えない。
それでも音は聞こえてくる。それを家族に何度も訴えれば、とうとう 「そんな風に思っているから、聞こえてくるような気がしてくるんだ」等と言われる始末だった。
それは友人に話しても同じことだった。忍足は「白石の気にしすぎやろ」と言うし、 小石川には「…なんか、つらい事とかでもあるんか?」と変な心配をされてしまった。
あかん、こいつらアテにならん。
そう判断した蔵ノ介は、知り合いの中で一番、 霊感を持っていそうな(あくまで、もっていそうと言う先入観のみであるが)、 石田銀を家に招いたのだ。
一応の事情を先に聞いていた銀は、蔵ノ介の部屋に入った途端、 いぶかしげな顔をして天井をじっと見つめたので、蔵ノ介の心臓の音は俄に騒がしくなった。 やはり、ここには何かがいるのだろうか。そんな思いが頭の中を駆け巡る。
「な、なんかわかるんか?」
「む……」
銀が何を言うのか、やけにハラハラする気持ちを持て余しながら蔵ノ介が答えを急くと、 銀はやがて天井から視線を蔵ノ介のほうへと戻した。
「…なにかは感じるなぁ。けど、悪いもんやない」
その言葉に、蔵ノ介はがっくりと肩を落とした。ようやく屋根裏の住人の存在が明らかになると思ったのに、 それでは中途半端に不安を残したままだ。
だが銀はその道のプロではないわけだし、文句を言う事はできない。 ただ、悪いものではないと言う言葉だけは救いだった。

  救いではあったが、やはり迷惑な事に変わりは無い。 うとうととしている時にその音が聞こえると、驚いて目が覚めてしまうことも多々あった。
そうして、とうとう蔵ノ介にも限界が来てしまった。 それは期末試験を目前に控えた夜で、蔵ノ介は遅くまで勉強をしていたのだが、またしても天井裏から音がする。 なるべく気にしないよう、気にしないようと己に言い聞かせて教科書とノートを睨みつけるものの、 さっきから天井裏の住人は落ち着かないようで、端から端まで走り回っている。 これでは集中して勉強もできやしない。それが蔵ノ介を苛立たせた。
「あぁ、もう、うるさいねん!」
とうとう蔵ノ介は、持っていたシャープペンシルを放り投げた。
それから、天井を睨み付ける。 もうそのときの蔵ノ介の頭の中には「一言、文句を言ってやらねば気がすまない」と言う思いだけでいっぱいだった。
とにかく、今までの鬱憤を晴らしてやりたい。自分がずっと迷惑をしてきたことを、怒鳴りつけてやらねば気がすまない。
衝動的に、蔵ノ介は立ち上がった。普段は布団やらなんやらを入れている押入れの扉を開け、 そこに潜り込む。押入れの天井の一部分は板が外せるようになっていて、 そこからこの部屋の天井裏に入ることができるのだ。
狭くて暗い押入れの中で、蔵ノ介はとにかく文句を言ってやることばかり考えていたので、 自分が勝手に想像していた恐ろしい化け物なんかの事はすっかり忘れてしまっていた。 恐怖よりも怒りのほうが勝ってしまっていたのだ。
そっと天井板を外した蔵ノ介は、すう、と息を吸い込む。それから勢い良く天井裏に頭をつっこんで、
「うっさいんじゃ、ボケェ!!!!」
と叫んでやったのだ。その瞬間、「ぎゃああああ!!」と言う、 小さな子供の悲鳴が天井裏に響き渡って、目の前を何か小さな黒い影が横切ろうとしたので、 蔵ノ介は咄嗟にそれを素手で捕まえてしまった。
少しだけ冷静さを取り戻した蔵ノ介は何もない 天井裏の奥のほうを見ながら、まず、聞こえるはずの無い子供の悲鳴にぞっとした。
どう考えても怪奇現象でしかない事態に、今度は怒りよりも恐怖で頭が困惑する。 と、その時だ。手の中の何かが、じたばたと暴れているのだ。
自分は、 咄嗟とは言え何を掴んだのか。
捕まえたのはいいものの、はっきりとその正体を見ていなかった蔵ノ介は (本能が、見ることを避けたのかもしれない)、恐る恐る、自分の手元に目をやった。
「な、…」
声に、ならなかった。なぜなら自分の手の中にいたのは、小さな、小さな子供だったからだ。


  子供は蔵ノ介の持っている携帯電話くらいの大きさをしていた。
当たり前だが、そんな掌サイズの人間などこの世に存在するわけもなく、どこからどう見ても異質なそれは、 さらにおかしなことに、獣の耳と尻尾を持っていた。
呆然と蔵ノ介がその存在を見つめていると、掌の中のそれは「離せや!!」と言って暴れ始めたのだ。 驚くべきことに、その小さな体に似合わず力が恐ろしいほどに強い。 普通に握っていただけでは逃げられそうになって、蔵ノ介は慌てて掌に力を入れる。 しかし、そうすると「ぐぇ、」と苦しそうな声をあげるので、蔵ノ介は焦った。 力加減を間違えて潰してしまったらどうするのだ、と考えるも、子は一向に大人しくならない。
こんな得体の知れないもの、死んでしまったらさらにどうしていいかがわからない! と蔵ノ介は思い、何とか宥めようと「ちょぉ、落ち着け!」と言って見るのだが、 それでも「離せ〜!」と声をあげている。
蔵ノ介はとりあえず、急いで押入れから出た。 それで、部屋の真ん中でどうしたものかと辺りを見渡して、机の上に転がっているチョコレートのお菓子が目に入った。
「お菓子!お菓子やるから、大人しゅうせぇ!!」
「…お菓子?食べる!」
見た目が子供ならば、どうやら中身も子供であったらしい。 お菓子の一言に、掌の中の子はぱっと目を輝かせて、すぐに大人しくなった。 それにほっとして、しかし安心して子を開放することはできず、掌の中に閉じ込めたままで、 机に近付いてチョコレートを手に取る。
「はよちょうだい!」
「わかったから、約束せぇ!食べ終わっても、絶対に逃げるんやないで?俺はお前に話があるねん」
「わかったー」
ほんまにわかっとんのか、と蔵ノ介はやや不安な気持ちを残しつつ、子をそっと離してやった。 床の上に座って、チョコレートを今か今かと待っているので、 とりあえず包み紙を剥がしてやってから持たせてやると、喜んで食べ始めた。
その顔の、なんとも幸せそうなことか。 蔵ノ介は、さっきまでの怒っていた気持ちも、恐れていた気持ちも、 この子供にチョコレートと一緒に食べられてしまっているのだ、とぼんやりと思った。

 子の名前は、「金太郎」と言うらしい。
チョコレートを食べる姿があんまりに可愛らしかったので、蔵ノ介が調子に乗ってもう2個ほど与えてやったら、 上機嫌になって自分の事を話し出したのだ。
「ワイはなー、妖怪やねんで!ここら辺やったら一番強いねん」
「へぇ…」
蔵ノ介には、こんなにも小さな妖怪が、強いとはとても思えなかった。 確かに力は強いが、なにせ小さい。まさか妖怪と言うものは、全て掌サイズなのだろうか。 そうなれば金太郎の言うことも信じることができるだろう。
「んで、金太郎はなんて妖怪なん?」
「?ワイは、金太郎やで」
「…いや、そうやなくて。種類ちゅうか、種族?みたいなんはなんて言うんか聞きたいねん」
「……??」
「あぁ、もう、えぇわ」
金太郎が不思議そうに首をかしげるので、蔵ノ介はそれ以上は聞くのをやめた。 きっとこの子供は、今まで己が何であるか、とか言うのを考えたことが無いのだろう。
それにしても、と蔵ノ介は改めて金太郎の姿をまじまじと見つめる。
蔵ノ介には霊感なんてものは無いし、今までも幽霊だのを見たことなんて言うのは一度も無いが、 どうしてこの金太郎だけは見えるのだろうか。不思議だった。
どうせ本人に聞いたところでわかる筈も無いのだろう。蔵ノ介は項垂れる。 けれど、これで屋根裏にいたのが不気味な幽霊とかだったらもっとショックだったろうし、 むしろ今頃生きていなかったかもしれない。そう思うと、こんな可愛い妖怪でよかったと思える。 蔵ノ介は前向きな性格だった。
やがて金太郎がチョコレートを食べ終えたので、蔵ノ介は本題に入ることにした。
「で、なんで俺の部屋の屋根裏におったんや?」
「なんでって、ここワイの家やもん」
「いやいやいや。ここ、俺ん家やから!白石家のもんやから!」
「でも、ワイここで生まれてんもん!せやからここはワイの家や!」
なんと言うことか。どうやらこの白石家の屋根裏には妖怪家族が住み着いていたらしい。 いつの間に出産までされていたのか。 さらには、産み落とされたこの子供はすっかりここを自分の家だと思っているらしい。
余りの事に、蔵ノ介は言葉を失くした。 けれどここで黙ってしまっては、この妖怪に家を乗っ取られてしまう、と蔵ノ介は己を奮い立たせた。
「ここは俺ん家や!お前のオカンとオトンがこの家建てたんか!?ちゃうやろ!」
「うう…そ、そんなん訊いたことないもん…わからへん」
「ほら、わからへんやろ。それになぁ、毎晩毎晩、屋根裏で暴れてるやろ!うるさいねん!」
「う、うるさいて…。ワイ、妖怪やもん!夜中がいっちゃん元気になるねん!」
「元気あり余ってるんやったら、外行って来い!」
蔵ノ介の剣幕に、金太郎はどんどん泣きそうな顔になっていく。 それに心が痛まないわけでは無かったが、ここで甘い顔を見せればこの家が妖怪一家に奪われてしまう 。白石家長男として、自分がこの家を守らねばならないのだ、と蔵ノ介は使命感に駆られていた。
「ちゅうか、この家から出て行け!」
蔵ノ介のその一言に、金太郎はとうとう本格的に泣きそうになってしまったが、 そんな己の怯えた心を振り払うようにブンブンと頭を振ると、 今度は目を赤くさせて、蔵ノ介を精一杯睨み付けた。尻尾を逆立てて、 臨戦態勢をとっているその姿に、蔵ノ介がたじろぐ。
「ワイは出ていかへん!ナメとったら、喰ってまうで!」
一気に立場が逆転する。いかに相手が小さいとは言え、妖怪は妖怪だ。
本気を出せばこちらは容易く食べられてしまうかもしれない、 と思うと蔵ノ介もうかつには強く出ることができない。しかし、蔵ノ介とて引く気はなかった。
「ま、待て!!お、俺を喰っても不味いで!」
「そんなん、喰ってみなわからん!」
金太郎が、牙を見せながらじりじりと近付いてくる。 後ろに後ずさりながら、蔵ノ介は必死に考えた。 なんとか、現状を打破する方法を。でまかせだって、なんだっていい。
この目の前の妖怪が、思い直すようなことを。
「お、俺のこの左手は毒手や!」
「…毒手ぅ?」
「そうや。今は包帯で封印しとるけど、この手に触れし者は、毒手によって苦しみもがいて死ぬんや! だから、喰ったらお前も死ぬで!」
どう考えても、嘘だ。普通の人間だったらまず信じないだろう。 蔵ノ介の左腕に巻いてある包帯だって、たまたま怪我をしていた所を、 医者に大げさなくらい包帯を巻かれただけなのだ。
けれど、蔵ノ介は金太郎が、この嘘を信じるだろうと言う確信があった。 この金太郎と言う妖怪は、良く言えば純粋、悪く言えば単純なのだ。
「ワイ、死にとぉない〜〜!!」
すっかり蔵ノ介の嘘を信じ込んでしまった金太郎は、さっきまで逆立っていた尻尾を丸め込んで、 小さくなって怯えている。予想以上の効き目に蔵ノ介は笑ってしまいそうになるが、 今笑ってしまえば全てが終わりだ。緩みそうになる頬を必死で押さえて、蔵ノ介が金太郎に追い討ちをかける。
「それにな、この毒手には特殊な力があってな…。妖怪を祓うこともできるねん!」
「うわああああ!!やめてえええ!!」
少し左腕を近づけただけで、金太郎は物凄い速さで部屋の隅へと逃げてしまった。
ぼろぼろと涙を零して怯えてる様は、さすがに蔵ノ介の良心を抉る。 やりすぎた、と少し反省した蔵ノ介は、左腕を後ろに隠すと、優しい声で 「せやから、喰うとかは無しやで?」と言ってやった。
すると、金太郎は「な、なし!なしにする!」と首を縦にブンブンと振る。 とにかくこれで命の危機は脱した、と蔵ノ介がほっと胸を撫で下ろしていると 「せやけど、出ていかれへん…」と、金太郎がか細い声で呟く。
「ワイ、ここ以外行くとこないねん。オカンもオトンももうおらんし、 別んとこなんて、どこ行っていいかわからん… ここしかないねん!」
「もうおらんて…。オトンとオカン、どこに行ってん?」
「わからへん…」
俯く姿はあまりにも哀れだった。そんな姿を見せられたら、出て行けなどと言えるはずが無い。 そこまで冷酷な人間ではない蔵ノ介は、困ってしまった。
こんな小さな子供を残して、金太郎の父親と母親はどこに行ってしまったと言うのだろう。 いや、もしかしたら死んでしまったのかもしれないが、「死んだのか?」 と訊けばさらに金太郎の心を傷つけてしまうかもしれないと思い、蔵ノ介はその質問を飲み込んだ。
「追い出さんといて!」
悲痛な叫びだった。走り寄って、蔵ノ介の足にすがりつくその小さな手を、振り払えるわけも無い。
「せやけどなぁ…」
「頼む!ワイ、悪いことせぇへんから!」
父親も母親もいなくて、あんな薄暗い天井裏に一人でいたこの子供を、 こんな寒空の外に放り出すなんて、それはあまりにも残酷だった。
蔵ノ介は悩む。けれど、こうなってしまったものは仕方が無かった。 あのまま、天井裏を覗くことなく、うるさい音にも慣れてしまっていたら、 また別の道があったのだろう。しかし蔵ノ介はもう、天井裏の板を開けてしまったのだ。
あの時、蔵ノ介が立ち上がってしまった時点で、もうこうなる運命だったのかもしれない。観念するしかなかった。
「……はぁ……。わかった、わかったから。泣きな」
「ほんまかっ!?」
しゃがみ込んで、金太郎を掌の上に乗せてやる。
「せやけど、約束して貰うことがある」
「なに?ワイ、ちゃんと約束は守るで!」
ここに居ていい、と言うことが嬉しいのだろう。蔵ノ介の掌の上で、金太郎がぴょんぴょんと飛び跳ねる。 全く、現金なものだ。しかしそう言うところがやけに愛らしくもある。
「屋根裏に住むのはあかん!」
「えぇ!?せやったら、どこに住むん?」
「俺の部屋や。ちゃんと寝る場所とかは作ったるから、屋根裏は禁止!うるさくてかなわんからな。 あとは…そうやな、俺以外の家族には見つかったらあかんで。説明するのも面倒くさいし…色々不味いねん」
そもそも家族にこの妖怪の姿が見えるのだろうか?わからなかったが、 もし見えたとしたら大変な事になるのは目に見えている。 それならばバレないようにしたほうが賢明だろうと、蔵ノ介は考えたのだ。
蔵ノ介の『約束』に、金太郎は目を丸くさせていた。
「…そんだけでえぇの?」
「今の所は、な。もしかしたら後から増えるかもしらんけど、今んとこ思いつくのはこれやな」
守れるか?真剣な顔をして蔵ノ介が訊ねると、金太郎もしっかりと蔵ノ介の目を見て、「うん!」と答える。
「ワイ、ちゃんと約束守るで!よろしゅうな!えーと…」
口篭る金太郎に、最初は何かわからなかった蔵ノ介も、すぐにピンと来て、思わず笑ってしまった。
「そうや、まだ俺の名前言ってないやん。…白石蔵ノ介や」
「蔵ノ介!かっこえぇ名前やん!よろしゅうな!!」
小さな手が蔵ノ介に向かって伸びてくる。蔵ノ介は、その小さな手をそっと掴んだ。 あんまりに小さかったから、親指と人差し指で摘むしかできなかったが、それでも二人は確かに握手を交わして、 笑いあったのだ。


「ちゅうのが、一週間前の話や」
蔵ノ介の話をそれまで黙って聞いていた忍足は、ようやく話が終わった事に、まずため息を吐いた。 まさか昼休みの殆どをそんな話に費やされるとは思っていなかったのだろう、 忍足は弁当をまだ半分も食べ終わっていなかった。色々と言いたい事はあるようだが、 何から言っていいかがわからないらしい。忍足は考え込んでいる。
「先輩…頭大丈夫ですか?」
忍足よりも先に、まともなツッコミを入れたのは財前だった。 財前は蔵ノ介が話している間にも要領よく口を動かしていたのか、いつの間にやら弁当を食べ終わっている。
「何が大丈夫って?」
「頭が。そんなアホみたいな話、あるわけないやないですか」
「ほんまやで白石。その冗談、笑えへんわ。それやったらここにおる金ちゃんはなんや、妖怪や言うんか?」
そう言って、忍足が金太郎を指差す。金太郎はさっきから蔵ノ介の隣で、 昼ごはんに買ってきたのだろうたこ焼きを夢中になって食べていた。 先ほどまでの会話をきちんと聞いていたのかも怪しいほどで、 忍足に指を指されても「ん?」と言って首をかしげている。
「そうや、妖怪や」
あっさりと言い切る蔵ノ介に、忍足と財前が深いため息を吐いた。その表情は呆れかえっている。
「……先輩、いまさら言うことでもないですけど、俺はこいつのこと小学校の時から知ってますよ」
「ついでに言うと、テニス部に入ってもう半年はたってるで。それを、一週間前の話て…。無茶言うな!」
二人にツッコまれ、しかし蔵ノ介は引き下がらなかった。
「せやから、それも金ちゃんの力やねん。みんなに『遠山金太郎は人間で、ずっと前から存在してた』って、 思い込ませてんねん!」
「……はぁ…。白石、おもろないボケはどこまでひっぱっても無駄やねんで? そっから面白くなることなんて、絶対に無いねんからな?」
「それやったら、先輩の話の中では携帯サイズの金太郎が、 こんなにでかいのも、妖怪の力やっちゅうんですか?」
ま、でかい言うてもぜんぜんちっこいけど。と言って鼻で笑う財前に、 しっかり聞いていた金太郎が「ワイはこれからでっかなるねん!光なんてすぐに追い越してまうでぇ!」 と叫んで、たこ焼きを落としそうになった。
「そうや、どうしても学校に行きたいって言うから、人間に姿を化けさせてん」
蔵ノ介が言い終わるとほぼ同時くらいに、チャイムが鳴り響いた。 昼休み終了の音に、忍足と財前はこの話は終わりと言わんばかりにさっさと弁当を片付けて立ちあがる。
「白石も、しょうもない事言ってやんと、はよ教室帰るで」
「次はもっとおもろい話、期待してますわ」
忍足と財前はそれだけ言って、部室から出ていってしまった。 バタン、と扉が閉まる音が響いて、自分も早く教室に戻らねばならないと言うのに、蔵ノ介は動かない。
そんな蔵ノ介の顔を、金太郎がひょいと覗き込んだ。誇らしげに微笑むその顔に、蔵ノ介は思わず見入る。
「な?バレへんかったやろ」
「ほんまやな。金ちゃん、すごいなぁ…」
蔵ノ介の言葉に、金太郎はえへんと胸を張った。 褒めてくれと言わんばかりだったので、蔵ノ介は笑ってその小さな頭を撫でてやる。 そうすると、金太郎は嬉しそうに声をあげた。
「やっぱ金ちゃんの力はほんまもんやねんなぁ」
蔵ノ介が忍足達に話したことは、世迷言でもなんでもない。全て、真実だった。 屋根裏の住人、妖怪の金太郎も、そんな妖怪に出会って、一緒に生活を共にすることになったことも、全部。
つい昨日までは、金太郎は大人しく蔵ノ介の部屋で毎日を過ごしていたのだが 、今朝になって突然「学校に行きたい!」と言い出した。
毎日、学校でどんな風に過ごしているかを蔵ノ介から聞いているので、自分も行きたくなったのだろう。 もちろんそんな事が許せるわけも無い。蔵ノ介は反対したのだが、金太郎は大丈夫だと言い張るのだ。
どうして大丈夫だと言えるのか、蔵ノ介が散々教えろと言っても、 金太郎は学校に行けばわかると言って教えなかったので、蔵ノ介は随分ひやひやしながら今朝、 校門を潜り抜けたのだ。
しかし、蔵ノ介は驚かされることになる。
誰もが、金太郎の存在を知っていたのだ。最初から、金太郎と言う人間が存在していたのが当たり前のように、 生徒達が金太郎に声をかける。それはテニス部の面子も同じで、 彼らの中で金太郎は『同じテニス部の仲間』になっていたのだ。 金太郎は、テニスだなんてした事も無いと言うのに。
「なぁ、テニスってめっちゃおもろいねんやろ!?」
目をきらきらさせながら、金太郎は初めて見るテニスラケットとテニスボールを両手に持って、興奮している。
「せや、めっちゃおもろいで。放課後になったら教えたるからな」
「楽しみやー!!はよ放課後って言うのにならんかなぁ」
はしゃぐ金太郎に、思わず蔵ノ介の頬が緩んでしまう。 出会ったときはやっかいなことになったと思ったものだが、ほんの少し一緒にすごしただけで、 金太郎との日々はすっかり蔵ノ介の中で定着してしまった。 むしろ今までよりもずっと楽しい日々になっている。
ふいに、金太郎が蔵ノ介のことを真っ直ぐに見つめた。あの時、約束を交わしたときと同じ瞳だった。
「ワイ、蔵ノ介に会えてめっちゃ良かった!ありがとうな!」
「それは俺も一緒やわ」
そうして、暫く二人は心の底から笑いあっていた。