謎少年、仁王




仁王雅治は謎である。 ペテン師、と言うだけあって、彼の話には真実が無い。 全く無いと言うわけではないのだが、それにしたって本当のことを話している事のほうが圧倒的に少ない。
嘘と出鱈目が混じる彼の話、それを面白いと取るか不愉快と取るかで、人の彼に対する対応は分かれるのだ。 その上仁王は気まぐれで、行動パターンが全く読めない。ふいに目を離した次の瞬間には、もう全く別のことをしているような、そんな彼を理解するのはとても難しい。理解できたと思っても、それすらも彼のペテンで、やっぱり全部がまやかしだったのだろうかと思うときがある。
…彼は謎すぎる。
柳生比呂士は真実そう思っていたのだが、それをクラスメイトなどに言ってみると、殆ど100%の確率で信じてもらえない。 同じテニス部でダブルスを組んでいて、いつも一緒にいる柳生ならば、仁王のことをなんでもわかっているだろうと思われているようだ。
確かに柳生は彼を信頼していたし、仁王がどう思っているかはわからなかったが、少なくとも柳生自身は彼を親友だと思っていた。 しかし、それでも、わからないのだ。

「やーぎゅ、暇ぜよ」
「…やらなければいけない事はあるでしょう?」
「やらなきゃならん事と、やりたい事は違う」
そう言って机の上に仁王が突っ伏す。それを見て、柳生は小さくため息をついた。 先日、国語の授業で読書感想文を書いてくる、と言う課題が出された。 レポート用紙4枚分のそれに生徒達はうんざりしつつも、それが今度の期末試験に影響してくると 言われればやらないわけにもいかない。
柳生にして見れば特に面倒とも思わないその課題をさっさと終わらせるために、ちょうど部活の無い今日、 図書室で本を借りて読んでしまい、感想文を書く事にしたのだった。
そうして図書室に向かう柳生に、仁王が声をかけたのがつい数分前。 どこに行くのかと訊かれて、読書感想文を書く為に図書室に行くのだと答えれば、彼もついていくと言い出した。 なので柳生は、てっきり仁王も一緒に課題をやるのだと思っていたのだ。
しかし図書室に入ってから、一向に仁王は本を読もうとしない。 ただつまらなさそうに頬杖をついて柳生を観察したり、図書室の中をきょろきょろと見渡している。 けれど決して本を取りにはいかないのだ。
「仁王君は、課題を終わらせたんですか?」
もしかして彼はとうに課題など終わらせていて、柳生に付き合ってくれているのだろうかと思って訊いてみるが、 仁王は「いんや、全然」と笑った。
「……仁王君、」
「怒るなって。やれやれ、柳生がうるさいけん、真面目にやるとするか」
そう言ってようやく、本を取りにために仁王が立ち上がった。やれやれと言いたいのはこちらのほうだと思いながら、柳生が読みかけていた本に再度目を落とす。
暫くすると、仁王が戻ってきた。彼が何を読むのかが気になった柳生は、 そっと仁王の手にする本を伺って、それからその眉を顰めた。
「…仁王君」
「なんじゃ」
「…読書感想文に、絵本ですか?」
「絵本のどこが悪い」
「いえ、悪いとは言ってませんよ」
柳生は慌てて首を横に振る。何も絵本を否定しているわけではないのだ。絵本は子供だけでなく、大人も読めば胸を打たれるようなものも沢山ある。仁王の持ってきた絵本なんかがまさにそれで、巷で今 「子供だけでなく、大人も読んで泣ける!」とか「子供に読ませてあげたい絵本第一位!」と言われている話題のものだ。
柳生も妹の誕生日プレゼントに同じものを買ってあげて大層喜ばれた。 なので、絵本が悪いと言うわけでなく、柳生は果たしてそれで レポート用紙を4枚も埋めれるのかと言う事を言いたかったのだ。 正直、柳生は仁王がこう言ったことに真面目に取り組んでいる姿を見たことが無い。
「感動しました。泣けました」では教師から点数はもらえない。
仁王は柳生に言いたいことがわかったのだろう(いや、きっと最初からわかっていたに違いない)、 「まぁ任しときんしゃい」と笑った。
「…大丈夫ですか?」
「しつこいのう。…そこまで言うなら、賭けるか?」
「……賭け、ですか?」
「そう。このレポート用紙4枚きっちり埋める事ができて、その上教師から高評価を貰えたら俺の勝ち。 できなかったらお前さんの勝ちじゃ」
先ほどまでの面倒くさそうだった表情はすっかり消えうせ、仁王は酷く楽しそうに微笑んでいる。 彼がこんな風に笑う場合は、大抵はろくなことを考えていない、と言うことくらいは柳生にもわかる。
「柳生が勝ったら…そうだな、学食でなんでも奢ってやる。俺が勝ったら、なんかご褒美でもくれんか」
ご褒美。その言葉に柳生はふと考える。ご褒美とは、一体どんなものを要求されるのだろうか。 ゲーム?時計?新しい携帯?財布?なんにせよ、学生の柳生にはそんな金などどこにも無い。
「…わたしにはそんなお金ありませんので、親御さんに強請ったほうがよろしいのでは?」
「べっつに、金使わすようなことは言わんよ。金のかからんことして貰う」
例えば、数学のノートを見せるとか?いやいや、仁王のことだ。 真田副部長に悪戯でも仕掛けて来いとか、そんな事を言い出すかもしれない。 そう考えると、柳生は素直にその賭けに乗ることができなかった。
「じゃ、そう言うことじゃからな。きーまり!」
賭けに乗るとも言っていないのに、仁王は勝手に全てを決めてしまった。
柳生が慌てて抗議するも、「柳生、ここは図書室だから静かにな」と酷く真面目な声で、 でもその顔は悪戯が成功した子供みたいにニヤニヤと笑いながら注意されてしまった。
仕方なく、柳生は黙って読書感想文を書く事に集中したのだった。


「やーぎゅ。見てみんしゃい」
そう言って仁王が柳生に手渡したものは、彼が書いた読書感想文だ。 きちんと文字が埋められたそれには、赤い文字で教師からのよく書けていると言った内容の言葉と、 50点と言う数字。確か50点満点だと聞いていたので、仁王は賭けに勝ったのだ。
得意げな笑みを浮かべているのが少し憎たらしくて、柳生は口のへの字に曲げてしまう。 普段は授業に対しても不真面目な場合が多いと言うのに、どうしてこんなときだけ本気になるのだ、 と柳生は言いたくて仕方が無い。
普段からそんな風にすればいいのにと言ったところで、 仁王はあっさり「嫌だ」と言うのだろうけど。
「俺の勝ちじゃな」
「…半ば強制的な賭けでしたが…と、いまさら言っても仕方が無いですね」
「よぉわかっとる」
さて、仁王が要求する「ご褒美」とは一体なんであるか。無茶なことを言われなければいいのだが…と思いつつ、 この仁王雅治と言う男が今まで無茶では無いことを要求したことなど、一度も無いと言うのもわかっている。
「そうじゃのー。ここはやっぱり、真田辺りに…」
やっぱりでてきた真田と言う名前に、柳生は顔を青ざめさせて首を横にブンブンと振った。やめてくれ。 それだけは勘弁してくれ。
例えば立海の他のメンバー、柳やジャッカルとかであれば、実はこういう訳で〜 とあとから説明をすれば許してくれそうだが、まず間違いなく真田にそれは通じないだろう。
怯える柳生を見て、仁王は酷く楽しそうに笑った。その顔が見たかったのだ、と言わんばかりだ。
「ま、そんなに嫌ならやめとくか。…じゃあ、俺の頭でも撫でて貰う事にするか」
「じゃあって。じゃあで、それですか」
「おう。はよしんしゃい」
仁王はそう言って、柳生に向かってずい、と自分の頭向けた。
ここは廊下で、今は休憩時間で、普通に他の生徒達もいると言うのに。 そんな言葉が柳生の口から出そうになったが、なんとか堪えた。 ここは仁王に従うしかないのだ。でなければずっとこのままの状態になるだろう。見当がつく。 柳生はため息をついた。深い、深いため息をついて、それから、どうしてだかちょっと気合を入れた。
「…がんばりましたね、仁王君」
「おー」
ゆっくりと頭を撫でてやる。柳生には妹がいて、彼女にするのと同じように優しく撫でてやれば、 仁王が気の抜けたような声を出した。
伏せたその顔はどんな形をしているかは柳生にはわからない。が、きっと満足げに目を細めているのだろう。
終わりです、と言って仁王の頭から手を離す。仁王はあっさりと顔を上げると、何事も無かったかのような表情をして「じゃ、」とだけ言ってさっさと自分のクラスのほうへと帰ってしまった。
取り残された柳生は一人廊下に立ち尽くす。 やっぱり、勝手だなぁと思っていると、ふと背後に誰かの気配を感じて、振り向いた。
「柳生は仁王を褒めて伸ばすスタイルか」
柳蓮二が立っていた。何か納得したように、うんうんと頷いているので、それはとんでもない誤解だと柳生は慌てた。
「別に、そのようなことはないです!」
「そうか?なんにせよ、お前達二人は良いコンビだな」
「…そうでしょうか?わたしは、仁王君の考えている事がさっぱりわかりません」
柳生が心底困ってそう呟くと、柳は驚いたようにいつもは細めている目を丸くさせた。
「何を言ってるんだ。お前ほど、あれを理解している人間はいないぞ」
「…そうでしょうか?」
「あぁ、そうだ」
「………」
やはり、柳生にとって仁王は、まだまだ謎だ。