コーリング


アキラが家に遊びに来るのはいつものこと。俺がアキラのところに行くときもある。どちらのほうが多いのだろうと考えたら、案外俺がアキラのところに行くほうが多いのかもしれないと思った。
うちには妹がいるし、その妹達が「お兄ちゃん遊んで」なんて部屋をノックしたら相手をしないわけにもいかないし、アキラもアキラで人が好いから一緒に面倒を見てくれたりする。 けれどそうすると、最初に予定してた二人でやる筈だったゲームは途中で投げ出されてしまって、結局何も進まないまま電源が切られてしまって、気がついたらアキラが帰る時間になってたりする。 だから邪魔されないアキラの家に行く事が多いんだけれど、今日は違った。
妹達は親と一緒に晩御飯を食べに行くと言って出て行った。
俺はと言うと、今は家族と外食よりも友達と遊ぶほうが楽しい年頃なので、アキラと一緒に適当にコンビニで食べ物を買って、ひたすらゲームをしたり、DVDを見たり、くだらない話をしたり、テニスの話をしたり、邪魔が入らない二人の時間を満喫した。
アキラといるのは楽しいと思う。何より楽だ。多分、家族以外で俺のことを一番理解しているのはアキラだと思う。なんだか悔しいけれど。
けど、俺も、アキラのことを一番わかっているのは俺だと思うから、おあいこだ。…おあいこって、なんか変だな、と自分でも思うがまぁいい。 けれど楽しい時間には制限時間があって、まだ大人でもない俺達には一緒に過ごす時間なんて言うのは限られてしまっている。
明日は日曜日でもないからアキラは泊まる事が出来ないし、それならまた続きは今度、と言う事でアキラは帰ってしまった。
玄関まで見送って、遠くに消えていくアキラの背中が見えなくなった頃に自分も扉を閉めて家に戻る。
家の中は驚くほど静かで、その静けさが耳に痛かった。
さっきまであれほどうるさかったのに、一人になるとその喧騒は嘘だったように思えた。 のろのろとした動きで自分の部屋に返る。部屋はアキラが散らかしていったままで、ゲーム機は出っ放し、コントローラーは放り投げっぱなし、飲みかけのジュースが入ったグラスも置きっぱなしだった。
それらが、さっきまで確実にここに誰かが居た、ということを実感させるそれが酷く嫌だ。暗くなる気持ちをごまかすようにベッドに寝転んでもぜんぜん眠くないし、無駄に携帯を開いてみても、携帯は何も受信しない。
なんだかじっとしていられなくて家の中をうろうろしても、誰かが居るはずもなくて、なんだよって呟く声もすぐに消えてしまった。
部屋に戻って、床に寝転ぶ。雑誌を読む気にもなれない。ただぼんやりと天井を見つめていると、ふいに携帯が鳴った。 考えるよりも先に手が動いて、携帯を取る。通話ボタンを押せば、向こうからは何の声も聞こえてこない。いたずら電話でもとってしまったのだろうか。
「…だれ」
「え、千石さんですよ、伊武君!!」
「……誰からかかってきたか、見てなかった」
考える間も無く電話を取ったのだから仕方が無い。受話器の向こうの千石さんは、「登録、消されたのかと思った…」なんてほっとしたように呟いている。
失礼な、俺はやり取りの無いどうでも良い人間のアドレスしか消さない、と言ったらなんだか嬉しそうに笑うので、また何かこの人は勘違いしたな、と思った。
「で、なにか用ですか」
「ん〜、用って事は無いんだけどさ。暇だったので」
「そうですか」
起き上がるのが面倒になって、寝転んだままで携帯を耳にあてて会話をする。千石さんは本当に俺に用は無かったらしくて、ただ声が聞きたかったからとか、話がしたかったからと言って延々と話し続けている。
俺はそれに短く相槌を打って、ころころと転がっている。
「…ね、伊武君。どうしたの?」
それが本当に、真剣にこちらを心配している声だったので、こっちがびっくりしてしまった。なにがあったの、なんて千石さんが優しい声で聞く。
別に、何も無い。いつものようにアキラが遊びに来て、二人で遊んで、それでついさっき帰ってしまっただけだ。部屋はアキラが散らかして行ったままで、散らかっていて、それが酷く嫌なのだけれど片付ける気にもならないから寝転がっている。そう伝えれば、何故か黙り込まれた。
「ねぇ、伊武君。今からそっちに行ってもいい?」
「別に、構いませんけど」
家族はまだ帰ってこないし、まぁ別にいいかと思って許可すると、千石さんは「珍しいね」と言った。何が珍しいのだと聞けば、いつもならもっと渋るのに、と言われた。 とりあえず急いで行く、と言って千石さんは通話を切った。また部屋が静かになって、しばらくそのまま転がっていたけれど、人が来るならば散らかったままにはしておけないなと思ってのろのろと片づけをはじめる。
生ぬるくなった飲みかけのジュースが入ったグラスは台所の流しに置いておいて、自分の部屋の散らばった雑誌やゲームソフトを片付ける。
それでもうやることは無くなったのだけど、なんだかそわそわして落ち着かない。テレビでもつけようか、音楽でも聴こうかと思ったけど、あの人がこの家にきて鳴らすチャイムの音が聞こえなかったらどうしようとか思うと、つけることができない。
そんな感じがずっと続いて、何度も読んでしまった雑誌に目を通したりしているうちに、ピンポン、とチャイムが鳴った。 慌てて玄関まで行って、ドアを開けると、そこには肩で息を切らしている千石さんがいて、この人は何なんだろうと思った。 汗を流して、息を切らせて、明らかに走ってきたような様子で、でもにっこり笑っているのだ。
「き、来ました…!!」
「……そんなに、急がなくても」
「だって、伊武君、寂しそうだったし!」
はぁ?と、思わず口に出しそうになった。咄嗟に塞いだけれど、表情はごまかせなかったらしい。多分ものすごく怪訝そうな顔をしていたんだろう。
「顔を見なくても千石さんにはわかります!…伊武君、神尾君が帰っちゃって寂しかったんだよね?」
だよね、と言われても俺にはわからない。
「そうなんですか?」
「そうだよ。電話越しの伊武君は凄く寂しそうだった」
そうか。と納得した。あのなんとも言えない嫌な感じは寂しさだったのだろうか。神尾が帰ってしまって、家に一人きりで、さっきまで確かに誰かと笑っていたのが嘘みたいになってしまって、寂しかったなんて。えらく自分にしては感傷的だと思う。 というか、それで、どうして千石さんはわざわざここまで来たんだろう。
「でも、もう大丈夫だね。俺が来たから、伊武君は寂しくないよ!」
玄関先と言うのもあるのに、千石さんは何のためらいもなく俺を抱きしめた。ご近所の人に見られたらどうするんだと言えば、大丈夫!と言われた。 その自信は一体どこから来るのか教えて欲しい。
「千石さんは、自信家ですね」
「伊武君に関してはね!」
とりあえず寂しさはいつの間にか俺の中から消えていて、確かに千石さんが来たことによってこうなったのだから、感謝しなくてはいけないなと思う。…いや、やっぱり別にこっちから頼んだわけじゃないし、しなくてもいいかな?まぁいいや。とりあえずこの人を家に上げないと、玄関先でこのまま抱き合って親にでも見られたらタイヘンな事になる。
「あがってください」
「やったー!喉渇いちゃったんだよねぇ」
「はいはい。お茶くらいならありますよ」
千石さんを先に上がらせて、ドアを閉める。家の中はさっきまでの静けさを無くし、鮮やかな色を取り戻したように見えた。